「信じる者は救われる」
自己啓発や宗教的な話でよく耳にするフレーズですが、この「信じる者は救われる」とはを冷静に考えると、意味がよくわからないことに気づきました。
信じる者は救われるの本当の意味を知らないと、人生において少しだけ後悔するということ。
私の自論では信じる者は救われるというのは、何でも信じればいいということではありません。
もちろん、解釈の仕方は人それぞれですが、良い意味や悪い意味でもこの信じる者は救われる精神は、本当に人生において役立つのかを考えていきます。
目次
信じる者は救われるとは何かを持続させるための気休め
私も含めて、人間という生き物は本当に弱い生き物。
他の動物と比べても孤独感を恐れていますし、気が合わなくても群れることによって多少の安心感を保っています。
とりあえず、今の人間関係を無難に保てれば何とかなる。
そのように信じる者は救われる的な思考で、人間はドンドンと衰退していくのではないでしょうか。
本音の部分では複雑に考えることが面倒くさくて楽をしたいだけ。とにかく「こうすれば大丈夫!」と無理やり信じてはどこかで救われる自分に期待しているのです。
このように考えると、信じる者は救われるは気休め程度とも捉えられますね。
信じればいいということではない
これはどんな分野にも言えることですが、何でもかんでも信じればいいということではありません。
ネット上の情報しかり、ツイッター・フェイスブックなどのSNS、そして、このブログサイトも同様。
信じてはいけないということではなくて、どの情報が今の自分自身にとって有益なのかを見極めるということ。信じるだけではなくて、その情報をもとに今後はどのような行動をしていくのかということ。
勝手に信じて救われる情報だけを知っていても人生は変わりませんし、人間的にも成長はしません。
大切なのは何となく信じながらも、とにかく突き進んでいくということです。
「精神的に救われる」ことが本当の意味での救われるということ
経済的に救われることも大事ですが、やはり精神的に救われるというのが本当の意味での救われるということ。
少なくとも私はそう感じますし、精神が不安定でも何かを信じることで救われるのなら、一時的にはそれに越したことはありません。
まずは精神的に救われて余裕を持てたら、次は徐々に行動していく。この過程で人生を歩んでいければ、ある程度のことはほとんど達成できます。
宗教的に神を崇拝してもいいのですが、崇拝しているだけでは何の変わらないということです。
信じる者は救われるとは?本当の意味を知らないと少しだけ後悔する話のまとめ
なんだかんだいっても、人生において何を信じるかは本当に自分しだい。
信じればいいというものではありませんが、少なくともそれを信じては人生が少しでも楽しくなるのならそれが全てです。
信じる者は救われるからといって、怪しい自己啓発セミナーやよくわからない宗教に入信しても人生は何も変わりません。
変わらないどころか、下手をすれば堕ちていくだけでしょう。
そのような悲惨な結果にならないためにも、何を信じて、何を信じないのかを常に試行錯誤しながら生きていきたいもの。
誰もが救われたいと心の中では感じているものですが、いつまでも他力本願では何も生まれないのは事実。
とにかく自分自身を強く信じる心を維持しては、あらゆることに救われ、救いながら生きたいものですね。
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