ブロガーが大好きな「ブログ論」なるネタは、クソ記事やゴミ記事になりやすいジャンルの1つ。
この記事ネタもそのクソ記事やゴミ記事になりやすいブログ論ですが、私自身がこのブログサイトでブログ論を600記事以上を書いて気づいた究極のブログ論があります。
確かにブログ論は叩かれやすいですし、量産してもPVはそこまで増えません。毎日が同じようなことの繰り返しですし、つまらないことばかりを書いてしまうのがブログ論。
けれども、そんなクソ記事とかゴミ記事ともいわれやすい「ブログ論」を、ブロガーが書きたくなる気持ちもわからなくはありません。
そもそも、ブログ論とは一体何なのでしょうか。
目次
ブログ論とは?クソ記事やゴミ記事になりやすい理由
ブログ論の定義には、これと決まったものはとくにありませんが、しいていえばブログに関する精神論でしょう。
ブログ論に限らず、「精神論」の類はクソ記事やゴミ記事になりやすい。
理由は簡単。精神論は人それぞれであり、時と場合によってはコロコロと変わっていくからです。そんな曖昧な精神論を語られても信用できませんからね。
別に信用を狙って書くわけではありませんが、ブログ論を書いてしまうとどうしても記事が薄っぺらくなるのは否めません。
クソ記事やゴミ記事を書いてはダメなのか?
世の中には、初心者ブロガーをターゲットにして、「ブログ論」なるものを書くブロガーも多いのが現状。
もちろん、この記事もその1つですが、私が現時点(2017年1月2日)で600記事以上を書いて気づいたことがあります。
それはクソ記事やゴミ記事を大量に書かなければ、どれがクソ記事でゴミ記事かわからないということ。
ネット上では「クソ記事やゴミ記事を量産しても意味がない!」とかよく言われることですが、そういう人に限って大したPVを得ていませんし、記事数も300記事以下です。
もしかしたら、私の知らないところでもっとたくさん記事を書いているのかもしれませんが、それならとクソ記事&ゴミ記事の量産ダメ論は間違っていることになります。
600記事以上を毎日更新して私が思うことは、クソ記事やゴミ記事を書かなければ、究極のブログ論が書けないということ。
良質な記事と思い込んでいても、人によってはクソ記事やゴミ記事になりかねません。逆もまたしかりです。
最終的には何のためにブログを書くかで決まる
「クソ記事やゴミ記事を書くな!」といわれても、最終的には何のためにブログを書くかで決まります。
基本的にブログは何を書いても構いません。人を傷つけたりする記事も、名指しでなければ人によってはどうでもいいですし、そんなつもりではなくても人を傷つけるときもあります。
私がブログ論を書く理由は、ただ書いていて気持ちがいいから。
ストレス発散でもあるし、自分の頭で感じていることを文章化できることほど面白いものはありません。そういうことを文章化にするのを苦手な人が多いのも事実ですが、そもそも苦手と勝手に思い込んでいるだけかもしれません。
クソ記事やゴミ記事をとにかく600記事以上を書いてみれば、新たな発見をするのでクソ記事やゴミ記事をとりあえず600記事以上書いてみて下さい。
クソ記事やゴミ記事を600記事以上書いて気づいた究極のブログ論とは?のまとめ
初心者ブロガーはとくにですが、ブログで収入を得たいのならクソ記事やゴミ記事をたくさん書いていくこと。
初心者ブロガーの最初は何を書いても、クソ記事ですしゴミ記事です。
だからこそ、そんな記事でもたくさん書かなければなりません。クソ記事でも1000記事以上を毎日書ける人はほとんどいません。
それまでに大半が挫折しますからね。だからこそ、1000記事、2000記事とクソ記事やゴミ記事を書けば、それだけで差別化したブログサイトの出来上がりです。
ブログサイトタイトルもそこまできたら、「クソ記事1000記事以上サイト」と謳うのもいいでしょう。
ブログに限らず、他人と同じことをしてもつまらないだけですし、ブログ論は人それぞれの考えなので、私はドンドンと書いていくべき派です。
結局、こういう記事や考え方も人それぞれなので、クソ記事やゴミ記事になりやすいものですが、とにかくブログで何かしらの成果を出したいのなら、クソ記事でもいいので最低1000記事以上は書きたいものですね。
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