どこかの宗教じみた話とかではなくて、純粋に「人間はなぜ生きるのか?」を考えるのも人生の気分転換にはいいでしょう。
こういう話が嫌いな人もいれば、好きな人もいるのが自己啓発の面白いところ。
生きることの目的や生まれてきた意味などを考えすぎると、場合によっては人間の心は徐々に病んでいきます。
私自身はどちらかといえばこのような話は大好物ですし、よくこのブログサイトにも書いています。
書くことによって新たな発見もできますし、今の自分自身がどのような考え方で生きているのかを客観的に知ることもできます。
だからこそ、人間はなぜ生きるのかをたまには考えることも、長い人生においては大切なことです。
具体的な私の自論は以下の通り。
目次
人間はなぜ生きるのか?を改めて考えたくなる
たまにですが、ふと人間はなぜ生きるのかを考えたときに、何となく思いついたことをツイッター等で呟きたくなります。
人間いつかは死ぬのだから、とりあえずはやれるだけやってみたいもの。考えるのはいいけれど、考えすぎるのもまた違う気がする。悩んでいる時間と並行して行動もする。このように当たり前のことがなかなか人生では難しい。
— イノウエ (@inoue_311com) 2017年5月3日
何となく伝えたいことはわかりますが、そこまで凄いことを呟いているわけではありません。
自分で呟いたことなので今こうしてブログ記事にしていますが、改めて読んでみると「考えすぎはよくないぞ!」ということ。
ツイッターというのはこのような感じでラフに呟けばいいのです。
人間はなぜ生きるのかも本来はあまり深く考え込まなくてもいいですし、ツイッター同様に気が向いたときに考えればいい。
改めて考えれば考えるほど難しい内容ですが、なぜ生きるのかよりも、どのような生き方をしていきたいのかを考える方がいいですね。
どのような生き方をしていきたいのか?
なぜ生きるのかを考えても凡人の頭では、人生の全てを使っても答えは見つかりません。
それよりも「どのような生き方をしていきたいのか?」を考える方が得策。別に生き方は世代によって変化するのは悪いことではありません。
10代の頃に思い描いていた人生設計図と30代になってからでは違っていて当然ですし、ほぼ同じでもおかしくありません。
そんなことよりも、今現在の心境ではどのような生き方をしていきたいのかが大切。その生き方が「とにかく楽をしたい」「できれば働きたくないでござる」でも構いません。
大事なことは今現時点で、なぜそのような心境になっているのかを分析してみることです。
なぜ生きるのかは、なぜ生きたいのかでほぼわかる
人間はなぜ生きるのかを、自分自身はなぜ生きたいのかを考えることでほぼ答えはわかります。
別にカッコいい内容でなくてもいいんです。私みたいに気兼ねなく「高級うな重の2段重ねを美味しく食べたいから生きたい」とかで十分。
そのために「日々ブログサイト運営やブログ記事更新に励むぞ!」でいいんです。
本来なぜ生きたいのかは、目の前の小さなことの楽しみを達成するために何かをするの繰り返し。
見栄を張らずに本当に自分自身がやりたいことをしていけばいいということ。
そのためには多少の犠牲や我慢は必要不可欠。そのような忍耐期間も楽しむことができれば最強の人生ですね。
人間はなぜ生きるのかを考えるのも人生の気分転換にはいいかもしれない話のまとめ
このような感じで、人間はなぜ生きるのかを考えるのも人生の気分転換にはおすすめ。
別に難しいことを考える必要はありません。
人間という生き物はどうしても人の目を気にしてしまうので、「なぜ生きるのか?」という記事を書いたとしても理解不能な内容、難しい言葉や漢字を使いたがります。
そういうことではなくて、素直に自分自身が思ったことを書けばいいのです。個人ブログとは本来そういうもの。
人間はなぜ生きるのかということもこのブログ記事内容同様に、もっと気軽に楽しみながら生きていければいいですね。
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