好きの反対は無関心であるのは噓ではなくて本当だから気をつけるべきこと

好きの反対は嫌いではなくて無関心である。

マザーテレサが伝えた言葉でも有名ですが、好きの反対は無関心であることを最近になってつくづくと感じます。

「好きの反対は嫌いでしょ!」と反論したくなる人もいるでしょう。

けれども、好きの反対は無関心というのは噓ではなくて、本当だから気をつけるべきことがあります。

スポンサーリンク




好きの反対は無関心であるという理由

自分自身の感情をしっかりと考えればわかることですが、本当に興味のない事には関心すら持ちません。

無関心ということは「好き」や「嫌い」という以前の問題であり、よくよく考えてみると本当に恐ろしいこと。

「嫌い嫌いも好きのうち」という名言にもあるように、嫌われている間はまだ何とかその分野で生き残れるチャンスは残っています。

本当に恐ろしいのは関心すら持たれないというもので、それすら気がついていない人は意外に多い。

例えば、個人ブロガーが誹謗中傷コメントを書かれたり、悪口を叩かれたりしているのをたまに見かけますが、それはそれでまだ無関心よりかは全然マシ。

これは噓ではなくて、ブロガーに限らず本当に気をつけなければならないのが関心すら持たれないということです。

なぜ無関心な状態に陥るのか?

そもそもなぜ人は無関心な状態になるのでしょうか。

これも自分の立場で考えればわかることですが、自分にとって価値のないものは当然ながら関心を持てないから。

社交辞令で何となく関心を持っているアピールをしてもそこまで長くは続きません。SNS上のツイッターやフェイスブックの薄っぺらい関係をみればわかること。

人間だれしも無関心な状態に陥るのは仕方のないことですが、せめて何かを残したいのであれば、嫌いという感情でもいいので与えたいものですね。

関心を持ってほしいからといって人を傷つけてはならない

精神年齢が低い人に限って、関心を持ってほしいからという理由で人を傷つけてしまいがち。

恋愛下手なストーカーになってしまう人はこのような傾向があります。北風と太陽の物語にもあるように、関心を持ってほしいのなら温かい言葉を与えなければなりません。

無関心の人に関心を持ってもらえることは確かに難しいことですが、だからといって悪口を言ったり、喧嘩腰で向かっていくのは逆効果。

どのような世界でも人を傷つけることで関心を持たれることはないということです。

好きの反対は無関心であるのは噓ではなくて本当だから気をつけるべきことのまとめ

冷静になって考えてみると、本当に好きの反対は無関心であるということに気づきます。

無関心ほど冷たいものはありませんし、これほど恐ろしい状態は他にありません。ムカつくから無視されるのはまだ関心があるので救いはあります。

本当に気をつけなければならないのは、それすらの感情さえも持たれないということ。

人生においてそのような状態の1つや2つはあるものですが、実際問題となると深刻な状況ですし、シンプルに悲しいですよね。

そうならないためにも嫌われてもいいので、少なくとも関心は持たれたいものです。

もちろん、全ての人達から関心を持たれることは不可能ですし、持たれる必要もありません。

好きの反対は無関心!好かれたいからといって人を傷つけないで!

あわせて読みたい!

👉相手にされない人間の特徴から学べ!去る者は追わず来る者は拒まず精神論

[blogcard url=”https://www.inoue311.com/partner”]

👉ブログで人気者にならずに嫌われ者になりアクセスが全く増えなくなるコツとは?

[blogcard url=”https://www.inoue311.com/itisahated-person-withblog”]

好きの反対は無関心であるのは噓ではなくて本当だから気をつけるべきことを最後まで読んで頂きありがとうございます。


スポンサーリンク


スポンサーリンク







フォローしてね!


スポンサーリンク